古いアルバムから(昭和44年〜47年 その1)

幼い頃、夕張の炭住の丘から母におぶさり、蒸気機関車の引く長い長い石炭列車を見た。その想いが蒸気機関車への愛着となったのであろう。昭和44年、父親がカメラを買って家に戻ってきた。たぶん私と妹の成長過程でも収めるつもりであったのだろう。しかしそのカメラは、私が蒸気機関車を撮る為に私物化してしまった。

(小さな自転車旅行)

自転車を買ってもらったおかげで行動範囲が大いに広がった。
学校が終ってはカメラを下げペダルをこいで駅や機関区へむかう。構内に立ちのぼる煙を見ると気持ちが弾む。たとえそれがゴミを焼く煙であっても・・・・。

1) 苗穂機関区 C57 1)苗穂機関区  C57
苗穂の庫には、C57やC58,C11,D51が煙を吐いて生きていた。
隣接する苗穂工場の留置線には赤錆びたD52や9600が解体を待つ。
まさに生と死....
〜ある回想〜
2)札沼線 新琴似 C11 99 2)札沼線 新琴似 C11 99
汽笛が聞こえると、どこからともなく子供たちが集まる。
夕張にいた頃の自分もそうだったのであろう。
〜ある回想〜
3)函館本線 琴似 C58 421 3)函館本線 琴似 C58 421
琴似駅に近い高校に通った。
D51が引く通学列車が着くと駅のホームは生徒であふれていた。
自分も汽車で通学してみたかった。
〜ある回想〜


(遠出....知らない世界への旅のはじまり)

4)函館本線 上目名 C62 2+C62 3+C62 14 104L 急行ニセコ1号 4)函館本線 上目名 C62 2+C62 3+C62 15 104レ 急行ニセコ1号
昭和46年9月15日
札幌発6:57。524Dに乗車。
この列車の乗客の大部分はSLファン、倶知安駅での停車時間を利用して2つ目の9600を撮りいざ上目名へ。
撮影地はファンでいっぱい、コワイトンネルへ。
撮影終了後122レで長万部に、超満員でついには窓から乗り降りする始末。
〜撮影日記より〜
5)五稜郭機関区 C62 15,D52 235,C58 148 5)五稜郭機関区 C62 15,D52 235,C58 148
6)五稜郭操車場 D52 204
昭和46年8月8日
函館に家族旅行。
母と妹は市内観光。私はひたすら五稜郭詣で
〜ある回想〜
6)五稜郭操作場 D52 204
7)石北本線 北見 C58 1 7)石北本線 北見 C58 1
昭和47年3月30日
ここ北見で急行大雪6号は普通列車1527レとなり網走へとむかう。
寝台車、グリーン車をしたがえた堂々たる編成 。
出発を撮影しようと構内へ、C58が連結された列車は出発時間を待つのみ。
「お〜〜〜おファーストナンバー」失敗はできない...余計な力が入る。
〜ある回想〜
8)釧網本線 浜小清水−北浜 C58混634L 8)釧網本線 浜小清水−北浜 C58混634レ
昭和47年8月6日
昨夜から降り続いた雨でテントの中はびしょぬれ。
テントの中でカサをさしたり、火をたいたり、眠れぬ一夜を過ごす。
浜小清水をでたころから、だんだん晴れ、期待の斜里岳も見えてきた。
〜撮影日記より〜
9)石北本線 常紋−金華 D51+後9600 9)石北本線 常紋−金華 D51+後9600
10)石北本線 常紋−金華 後補機69644
昭和47年3月30日

雪上の足がシンシンと冷える。
2台のドラフトが聞こえ始めた瞬間、そんな事は忘れてしまった。
10)石北本線 常紋−金華 後補機69644
11)美唄鉄道 美唄機関区 4122 11)美唄鉄道 美唄機関区 4122
昭和46年11月
ヤマの様子をみたくなりバスに乗った「次は美唄炭山です」美唄鉄道、炭山駅前にバスは止まった。
終着駅だと思った私の目の前にまだレールは続いていた。終着駅は常盤台駅であった...。
次の機会にそこを訪ねようと思い美唄を離れた。次の年ヤマは閉山、結局この地を訪れる事はなかった。
〜ある回想〜


昭和51年3月。国鉄最後の蒸気機関車、追分の入機換9600が消えた。ついにその日がやって来た。私の一つの青春時代の終わりがそこにあった。あれから20年以上。世の中の気運で蒸気機関車が各地で復活した。しかしそれは、私を満足させるものではなかった。そんな時ふと昔のフィルムを伸ばしたくなった。フジカラーN100。
写真屋に務める友人に引き伸ばしを依頼、いったいどんな色が...思った以上の鮮やかな色に、昔の思い出が鮮やかによみがえった。

平成10年10月10日