左上) 鉄橋を渡り北広島に進入する快速エアポート。手前の木々が邪魔をして橋が見えない。昭和47年8月7日。この場所あたりから上段の写真、橋を渡るD51を
撮影していたのは間違えないようだ。(撮影地特定ランクA) 上中) 橋を渡る北斗星。水田だった、この場所も住宅地と公園に整備された。札幌のベットタウン。北
広島が市に昇格してしばらく経つ。 右上) 上段、築堤をタキを牽いて力行するD51(ナメクジ)を撮影した場所をDF200が軽いエンジン音でコキ牽いて、やって来た。
この場所を特定できたのは、築堤をくぐる道路、そこに張られた銘板に1969年の年号が 左下) あまりに変貌した、この場所を見つけた時、体に電気が走った。もち
ろん撮影地特定ランクはA! 中下) 現在の北広島駅。博覧会場のパビリオンのような建物。駅周辺はマンションや大型スーパーが建ち、昔を思い起こされる物は
ほとんど存在していない。 右下) 北広島駅に進入するC5757の後補機。面影すらなしとは、このことか!  

中学最後の夏休み、宗谷線、留萌線、石北線、釧網線と中学時代最長丁場のSL撮影旅行も終わり無事、札幌に戻ったが、もうひとつの目的、丸井デパートで開催
されている「SL展」に行くこと。しかし網走からの夜行で着いたので、開店時間にはまだまだ間がある「そうだ!千歳線に行こう!」と、ここ北広島を訪れた。時間を気
にしながらの撮影となり、あまり撮影地も移動することなく、数本の列車を撮影した後、札幌に戻った。           昭和47年8月7日 北広島〜西の里(信)にて