あの時、僕はここにいた
あの時、僕はここにいた。宗谷本線 塩狩
あの時、僕はここにいた。宗谷本線 塩狩

写真1) いざ、塩狩へC5550が牽く321レ、札幌から乗車して来た「かむい」が見える。
写真2) あの時シリーズの相棒スハフ氏撮影。C5530 旭川発車 昭和47年7月26日撮影。
写真3) 労使紛争後、煙室扉にアジテーションの跡が残り、白粉顔のC5550
写真4) 昭和49年秋。九州人吉からきたC57130.。さいはて稚内行を牽く、門デフが「寒い」と耳を押さえているように見えた。
写真5) 偶然発見したC57130の動輪。JR北海道旭川支社にて。

私が初めてこの地を訪れたのは、昭和47年1月7日。ここが三浦綾子原作「塩狩峠」舞台とはさも知らず、ただSLの有名撮影地だとの認識しかない頃であった。ここが小説の舞台であったことを知るのは、しばらく後のことになる。札幌発旭川行急行「かむい」に乗車。旭川発稚内行321レに接続。昨年機関区巡りをした時、C5547・49を撮影。C551は梅小路に行ったきり帰らず、C5530か50であればと期待しつつホームへ。そこにいたのは50。小躍りしたい気持ちを抑えつつ乗車。C55の音と心地よい揺れを味わい12:08塩狩に到着。

駅舎後ろの木々の成長が時の流れを感じさせる。乗ってきたC55を撮ろうと、雪に埋まりながらも撮影したポイントでキハを撮影。
駅上に三浦綾子記念館が建ち、塩狩峠の案内支柱も新しくなった。高校の時、学校行事で映画「塩狩峠」を観た。ロケで使わ
れたのが大夕張鉄道の9600。デフが取られ、訳のわからぬナンバープレートを付けていたのが印象的で映画の内容は憶えて
いない。昔と変わらぬ駅名板。裏を見ると昭和36年の記述が。スハフ氏撮影 C5530 塩狩駅発車。昭和47年3月29日 駅
構内の電柱がコンクリートに変わったものもあれば当時のままのものもあり、煙の臭いがしみてないかと鼻を近づけたくなった。

写真5)

写真4)

写真3)

写真2)

いざ、塩狩へ 平成22年5月17日 あの頃探検隊スハフ氏共38年ぶりの塩狩。高速で和寒へ、これも時代の流れ、鉄道衰退の訳
も理解しつつ記憶を辿るいとまもないまま塩狩に到着。あの頃の風景は?一抹の不安を抱きながら駅舎に向かう。壁はサイディング
張りされたものの建物自体は昔のまま。互いに安堵する。あの頃は聞こえなかった高速とバイパスを行きかう車の音を気にしながら
あの頃の撮影地へ。

写真1)