左上) 昭和48年3月30日撮影 中、右上)昭和47年3月29日 スハフ氏撮影。1年の時のズレはあるものの似たような場所で撮影してたものだ。そもそも、あの時シリーズの始まりはスハフ氏が当宿に宿泊し、話の中でお互い昔、蒸気機関車を追いかけ旅が始まったのが原点。話が進むうちきっと同じ撮影地でシャッターを押したのでは?との思いがつのり、あの撮影地は今どうなっているのだろうか?そんな思いにから懐かしの撮影地をめぐる旅が始まった。
同撮影地でも1年経つとハエタタキが変わっているのが面白い。クマザサが邪魔をして線路が見えないと電信柱によじ登り撮影。あの頃の想い出はスハフ氏を童心に返らせたのであろう。(よい大人はマネをしないように)

撮影日記より(原文のまま)S48,3.30 天気雪・曇り 旭川発5:38 337D 塩狩着6:26 京都から来たN君S君と友達になった、貨1395レが運休だった(残念)。 撮影したSL 客332レ C55 客321レ C55 貨1397レ D51後DD53 客324レ C55後DD53

昭和47年1月7日の撮影地を確定。踏切があったことを憶えていたので容易に捜しだせた。当時は
警報機がなかったような気がする。

スハフ氏協力のもと、蘭留側カーブでの撮影。当時カーブの内側と外側での撮影をしていたので、私が外側、スハフ氏が内側で特急サロベツを撮影。高速化したレールの上を軽やかに走り抜けて行ったが、我々にはあの頃の汽笛とドラフトとが峠のどこかで聞こえたような気がした。

左上) 永山駅に停車中のC5530 昭和47年3月29日 スハフ氏撮影  中央上) 現在の永山駅 駅前マンションが建ち、旭川の郊外開発の真新しい住宅が目立つ。
右上) 昭和49年10月2日。永山駅に停車中のC57130 学生風の男性達と会話する乗務員。「SL 珍しいかい?なんもこいつも、もうすぐお払い箱だ」そんな会話が
聞こえてきそうな・・

撮影日記より 昭和48年8月3日 「かむい9号」にて20:18旭川着 旭川の駅に着いて驚いた観光客でいっぱいだ。今日は駅で寝れるか心配になってきた。
         昭和48年8月4日 カメラの絞りがまた動かなくなった、旭川のカメラ店にだしたら、どうやら直った。(完全ではない) 原文のまま記載