左は今の小沢駅。訪れた時は駅前のアスファルトを敷く工事中国有鉄道の柱がポツンと残されていた。このまま残してほしいものだ。右は旧小沢駅。電灯のカサにツバメの巣が・・まさに、スワローエンジェルが停まる駅だ。そういえば、映画「男はつらいよ」で寅さんがタクシーで小沢駅を訪れるシーンがある。映画の内容は覚えてはいないが、登場したSLがD5127だったのは頭に焼きついている。

昭和47年の小沢駅にはD51の客車、貨物。ここから分岐する岩内線の9600。急行ニセコの牽引を引退したC62などが撮影できた。特に倶知安機関区の9600は二つ目と呼ばれ、注目をおかれていた。その内の何台かは給水温め器を頭に背負った異端機だった。日中ではあったが、せっかくの二つ目。機関士に頼み、前照灯を点けてもらうと「ライトだけじゃ、つまらんべ、煙も吐してやるから、いい写真撮れよ」 当時の乗務員は粋なはからいをよくしてくれた。

給水塔、給水器(別名、象の鼻)アッシュピットを備えた小沢駅構内。さながら、ここは小さな機関区だ。現在は上下線交換のための2線と保線車両の車庫への1線の計3線最低限の線路配置だ。停車中の保線車両が駅らしさを演出していた。昔、給水塔があったであろう場所まで歩いてみる。土台ぐらいはと、淡い期待をしつつも、その場所は熊笹とルピナスの花に覆われていて痕跡すら見つけることができなかった。このルピナスは下の写真、右から2番目。給水塔の下で休む二人の作業員が黒一色の機関車に花を添えようと植えたものに違いないと勝手な想像してみると、なにか楽しくなってきた。右一番目の写真。79616の右後の保線車両の車庫は駅側に増築部があるもの当時のままの様な気がする。

私が小沢を最初に訪れたのは昭和47年のゴールデンウイークと記憶している。中学の仲間達と余市に釣に出かけ、夜中から明け方まで余市の防波堤で釣を楽しんだ後、仲間の親戚の家で少々の仮眠をとり、仲間を起こさぬ様、家を出る。焦る気持ちで余市駅に向かう。C62 2の牽く普通列車に間に合うか?駅に近づくとC62の吐く黒煙が見えた。猛ダッシュ、なんとか後追い写真は撮れた。(ピンボケでした)気を取り直し、小沢へ。