苗穂機関区にいた19650 「苗」の区名札に違和感がある。何の為に苗穂にやって来たのか?
倶知安で見た時、一輌だけトラ塗りにされたのは、入れ替え機として使う為だろうと勝手に判断してみた。

二つ目9600の基地 倶知安機関区  昭和46年 私が初めて倶知安機関区を訪れた時は7輌の二つ目9600がいた。
19640 19650 69624 79613 79615 79616 79618 他、D51も所属していた。
79600番代は煙突、給水温め器、ふたつコブ、その形状から、見ずに終わったC51を想像した。
19650は私にとって縁のあるカマで、この時はトラ塗りにされ庫の隅で休んでいた。後に、いるはずのない苗穂であったり、三つ目になったり、最後は追分の入れ換えで、その役目を終えた。

小沢駅跨線橋。倶知安側は壁が張替えられ、窓もサッシに変えられていたが、小樽側は当時のまま。ホームからの階段口は板が張られ閉鎖されていた。
旧岩内線のホームは崩れかけ、ここにもルピナスが群生していた。
いまだ健在。末次商会の「トンネル餅」。以前はワイス温泉の図柄がついた包装紙もあった。店内にはC62のポスターと写真が飾られていた。
「昔は駅のホームでも売っていた」との話に、しゃれたタイル張りの売店があったのを想い出す。
鉄ちゃん時代には口にする事などなかった「トンネル餅」。今では、ついつい手が出てしまう「そんな年齢になったのか?」  「ああ〜渋い、茶を一杯!」

左上 倶知安峠に向けて猛ダッシュ。倶知安に着けば腹一杯、水が飲める。  中上、右上 G・W中の為か?荷がなく肩すかしな発車。
左下 9600の右側は岩内線ホーム  中下 二つ目を点灯させ岩内へ向かう。 右下 夕刻、小沢で入れ替え後、D51と重連で倶知安に戻る。

函館本線 小沢駅は稲穂峠と倶知安峠の谷間の駅。峠を上り、そして一息ついて再び、峠に挑む。小樽〜長万部間が山線と言われる所以である。
人煙稀な場所での撮影にまだ恐怖心があった、この頃、私にとって小沢はベストな撮影地であった。小樽方、倶知安方、共に、これから越える峠に
備え煙と蒸気を噴出して発車して行く。後に、この様な駅構内で撮影を済ませる事を一部(特に東京周辺のマニア)が駅前の丸井撮影と呼んでいた
が私には理解できなかった。なぜなら札幌の丸井は駅前ではなく大通りにあったからだ。そして関東の大学に行った時、札幌の丸井と東京の丸井
は別物だと知った。