苗穂機関区のシェルパたち  

北都、100万都市、札幌の空を焦がす蒸気機関車の群れ。札幌駅の東隣、苗穂。ホームに降り立つと、漂う煙の匂い。機関区の方向に目を
向けると、あまりの煙で目視できない時もあった。現在では「なんとしろ!」と文句も出そうだが、生活の中に、蒸気機関車があった時代。この
ような光景は、あたりまえだったのであろう。
当時、苗穂機関区所属の蒸気機関車はC57、6輌(29・38・57・91・138・177) C58、5輌(414・415・416・419・421) C11、2輌(99
228) 計13輌。大所帯の機関区ではなかったが、千歳、函館両線からやって来たD51も混じって構内は賑やかだった。C57・C58の仕事場
は千歳線の補機運用と桑園、琴似の入れ換え作業など地味な活動の場であったが、重連でコンテナ急行貨物を牽く姿は勇ましいものだった。

昭和44年〜48年 苗穂・桑園にて撮影

こじんまりしてしまった扇形庫。転車台も残る、現苗穂機関区。永久にと思うのは私だけか?コンクリートで塞がれた1番線、シャッターの閉じた2、3番線にはDD14、DD13が
並んでいた。かつて15番線まであった庫は、基礎だけ残し駐車場となっていた。札幌の空を焦がしていたSLの待機線にはキハの乾いたエンジン音が晩秋の空に響いていた

左上) C5729 桑園駅は卸売り市場が隣接しており構内が広く、客は長い跨線橋を渡り、ホームに向かった。札沼線?国鉄色の気動車が懐かしい。 中上) C5757
C5738と共に岩見沢に転り、少し命を永らえた。 右上) C5757・C5791 セキを押して57が91の脇を行く。「おーい、石炭。たらふく喰ったかい?足らなきゃ、おかわ
り、もってくるぞ!」こんな会話をしていそう。 左下) C5791 C5729と同じ場所で待機中。お気に入りの場所なのか?。 中下) C57138 苗穂工場で修繕中。ついに
煙を上げているのを見ずに終わったカマだったが、貴重なシーンを拝見できた。ふと、訪れた者を工場内に招いてくれた職員さんに感謝したい。 右下) C57177) 重油
タンク装備。狩勝越えの名残りなのか、138と共に苗穂では異彩を放っていた。

左上1中上2) C58414 西の里の帰り、苗穂に寄り、撮影。 中上3) C58415 D51に混じって構内で煙を上げる。 右上) C58416 廃車体の脇を行く、まさに静と動。
左下1) C58419 暗い庫の中で磨かれたナンバープレートが光る。 中下2) C58393 尻内から来たカマ。もし北見に行っていれば、390・391・392・393と4台揃い踏
みだったのだが・・標準デフ装備。 中下3) C58421 D51との重連仕業を終え給炭台へ。琴似で桑園でと出会いの多いカマだった。 右下) 私にとって初めて出会ったC58
ナンバーが読み取れない。この頃は、まだ標準デフだった。後の煙は構内で除雪作業にあたるD51のもの。桑園にて