さいはて発324レ  さいはて行321レ

昭和46年C551を求めて旭川機関区へC551の姿はなく47・49をカメラに収め帰路に着く。 稚内機関区にて出区準備のC5530、急行「宗谷」が横に見える。昭和47年8月2日撮影

C55のねぐら 旭川・稚内機関区

撮影日記より 昭和49年10月2日 出発の日 札幌発8:35「かむい2号」 カニさんの姿もめっきり減ってしっまたのダ、しかしまだ暇なカニさんもいる・・はたして稚内行の321レは蒸気が牽くかな?
赤ブタだったら、どうしよう 「石をぶつけてやる」 旭川着10:23 改札口を通らず、真っすぐ4番ホームへ、しかしまだその正体を現さなかった。心配、心配・・と向こうの方に煙が蒸気だ!C55
orC57
C55
orC57・・C57130でした。九州でだいぶ活躍したとみえて、だいぶ疲れている。 名寄にて、ここで交換の324レもやはりC57186だった、機関士の話だとC55は1台動いているそうだ。C55は一体どうしたのだ
宗谷本線も末期になるとC55・C57の共通運用となりC5787・130・186など北海道にゆかりのないカマが現れ、特にC57130は南国育ちの門デフ装備、さいはて北国には不似合いに思えた。

昭和49年4月2日 天北線の本命が運休なのでC55に乗って旭川へ(撮影日記より) さいはて発324レ
停車中のスナップ写真を撮影していたら乗務員がキャブに招きいれてくれた。前方注視する機関士の姿は我々の憧れ、現在では運転室に入れてくれるなど考えられないこと、大らかな時代だった。